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第13回全国大会優勝:藤島高校(福井)鷲田樹音くん

あの煙の立ち込めるニューヨークから帰ってきて3週間が経つ。田園に囲まれた福井の風景がそこにはある。彼我の地理的な距離よりも、精神的な距離の方が強く感じられるのはなぜだろう。

優勝と共に決定したニューヨークへの旅路は、自分にとって初めての海外ということを意味していた。この時の心情を愚直にも述べるならば、ニューヨーク研修旅行のことなど頭の片隅にもなかったというのが適切だろう。優勝するつもりで長い間勉強していたにも関わらず、この事が抜け落ちていたのは今でも全く不思議に思える。だからこの旅行は本当に意図せざるものであった。
ニューヨークへ行くにあたって最も気掛かりであったのは自分の語学力である。何せ頭には経済の知識しか詰まっておらず、今から突然英語を使う頭に切り替えるなど到底出来そうにもないと思った。だがこの機会をものにしてやろうという気概から、ひたすら英語の勉強に精を出した。
自分は偏屈な人間なので、海外に行けば何かいい経験ができるといった妄信的な言葉はどうも信用できなかった。しかしこの旅行について言えば、のちにその認識を改めることになった。

ここに私の稚拙な言葉でニューヨークでの出来事を仔細に書き連ねることは避けようと思う。なぜならこの経験を文章にしても陳腐なものにしかならないからだ。知識として知っていることと、経験として知っていることは違う。まさに「百聞不如一見」である。
帰国後の授業で私の敬する教師がこのような要旨のことを述べていた。広く経験し学びなさい、と。師は旅行が好きで、両手の指に収まらないほどに海外旅行に行ったそうだ。とても聡明な方で、家には何千冊もの本があるほどの読書家でもある。だから師の言葉は有り体でありながら、私には実感を伴ったものとして受け入れられた。以前の私なら経験せずとも本から学べば良いのではと懐疑的になりつつ、師に質問することにやぶさかでないだろう。

ニューヨークは異文化であった。
異文化に触れることによって自文化を知る事が出来るという言を聞いた事があるが、その意味でニューヨークは鏡だ。日本の文化が相対化されて浮かびあがるとともに、やはりニューヨークの人々の在り方の根本が日本とは異なるということを強く感じさせられた。
始めに述べた、精神的な距離とはそういうことである。
私たちは地図を見れば日本とニューヨークがどれほど離れているかを一目で知ることができる。飛行機に乗れば13時間ほどで行くことが出来る。地理的にニューヨークへ行くことは容易だ。しかし精神的に近づくことは容易ではない。
「異質のものに対する理解と寛容」。私が好きな言葉だ。この言葉はグローバル化する社会の中で私たちに要請されている異文化理解の姿勢を極めて端的に表しているように思う。交通網が発達し、世界の一体化が進む中で、時間距離の縮小は著しい。私たちにとって地球の裏側はもはや手の届く場所だ。しかしだからこそ、私たちは国際人としてこの「理解と寛容」の精神を持たなければならないのではないだろうか。
私には他県から福井に引っ越してきた、所謂転勤族の友人が2人かいる。ただ彼らは共に「田舎は閉鎖的だ、よそ者は排除される。都会の方がいろんな人がいるしその分寛容だ」と言うのである。これが一般に当てはまる事象だとは私も思わないが、その土地の多様性と人々の「理解と寛容」の精神の繋がりは無視はできないと感じさせるエピソードであった。
「異質のもの」に寛容であると言いうのは人間にとってなかなかに難しいのである。同質な集団の中に「異質のもの」が入ってきたときに攻撃するのは人の摂理なのかもしれない。
理解においてはそれ以上に難しいだろう。
このエピソードはミクロの例であるが、マクロで見れば正にこれが今のグローバル化社会だろう。その中で日本が田舎になるのか都会になるのか。それは私たちにかかっている。
私たちはイスラームのことをどれくらい知っているだろうか。LGBTのことをどれくらい知っているだろうか。理解しているだろうか。寛容は易しい。しかし私たちは理解する事で初めて精神的な距離を縮めることができると思うのだ。理解には努力が必要だ。不学ではいけない。学び、世界を知らなければならない。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」。アインシュタインの言葉だったと記憶しているが、この言葉が象徴するように、私たちはこの常識という名の偏見でものを見る。私たちは常識でよそ者を排除しないだろうか。
私は自分の知の有限性を理解した上で、なるべく多くの価値観を身に付けたい。「異質なもの」を理解できるようになりたい。そのために学びたい。そしてきっと自分の中の福井の田園とニューヨークの街がもっと近づくだろうと信じている。

今回の訪問で多くの企業や場所に行き、沢山の人からお話を伺った。面白いのは、各々言っていることは千差万別で、時には正反対のことを言う人までいるのだ。考えてみれば当たり前のことかもしれないが、ニューヨークの街でそれを聞いた衝撃は大きかった。価値観の多様性を肌で感じた。恥ずかしい限りだが、福井の田舎の高校という限られた社会にいるとそんな当たり前のことすら感じて来られなかったのだ。今私にに見えているのは縦並びの階級社会だ。偏差値という数字だ。それが限られた狭い価値観ということを理解していても、ニューヨークでの経験がそれを上書きしてくれたことは自分にとって大きかった。
ニューヨークに来る前から問いがあった。実社会と学問についてだ。
私の夢は知識人になることだ。なんとも漠然としていて馬鹿げているかも知れないが、そんな夢を持つ私は常々資本主義のパーツになって生きる人生は楽しいのかと疑問を持っている。そんな訳で、このような問いを訪問先で投げかけてみた。
「社会に出て大学の学問は生きましたか」
回答は様々であったが、共通していたのは直接に役に立つ訳ではないということだ。理論と実学が乖離しているというのは、経済学に限って言えば、よく分かる話なので納得はできた。けれどその分、自分は社会に出てもどうしようもないなとも思うのであった。
また訪問先での対話の中で自分にとって大きな発見もあった。英語の能力についてだ。私は英語にあまり自信がないので、このニューヨークへの渡航に向けて英語のスピーキングに励んだのだが、ある訪問先の方がこのようなお話をしてくれた。
「自分は英語が苦手で、海外の人に英語で説明をするのが億劫だったが、話さなくても英語の資料を作成したりするなど、話す以外の手段を使って対処するようにした」
と言うのである。自分は正直驚いた。英語が上手に話せなくても、海外の人と仕事が出来るように工夫して乗り越えてきたというこのエピソードは自分にとって福音でもあった。英語に自信がない私であるが、それでも自分の思っていることを伝えようとする熱意だけはあるつもりだ。自分の考えを伝えるというコミュニケーションの意味を再認識させてくれた。

最後に自分にとってのエコノミクス甲子園というものを振り返りたいと思う。私は高校一年生の時にこの大会に参加することになった。きっかけは今の相方に誘われたのと、私のある友人の存在であった(この友人については第12回の時の感想に記してある)。自分にとって一意に何か勉強に取り組むというのはとても楽しいものだったので、そのおかげか初参加で県大会優勝を果たしてしまった。
ある意味でこの優勝は失敗だったと後悔したことも多々あった。相方と勉強の分担が上手くできず、衝突したからである。だから私は第12回の全国大会で8位の結果に終わった時、当然の結果だなと冷めた目で見ていた。第13回に向けて、私は優勝しか考えていなかった。第12回の反省から、相方には頼らず自分一人の力で頑張ろうと意気込んだ。ミクロ経済、マクロ経済、財政、金融、マーケティング、会計、企業論、時事など何でも勉強した。しかし第13回の全国進出が決まると、再び相方との衝突は訪れた。私には相方の熱意がどうも伝わって来なかった。それが怖かったのである。しかしこの衝突を通して人間的な成長があったと私は思っているのだ。
一つの大きな目標に向かってチームプレイをするのは難しいことだ。部活で部長をしている私はそれをよく知っていた。だから腹を割って話してそれを乗り越えた経験は何物にも代え難い。
私は人生のテーマとして、自分の人間的成長を掲げている。だから学問をして知を広げたいし、色々な出来事を通して自分をよりよくしようと思っている。その点、エコノミクス甲子園は私の人間的成長を大きく助けてくれたと感じている。感謝の意しかない。
ただ全国大会後の作文でも書いたように、今でもこの優勝はちっぽけなものだと思っている。優勝せずともこの人間的成長は変わらなかったし、優勝しても人間的成長が無かったらエコノミクス甲子園に対する感謝の意もこれほどでは無かっただろう。
この文章を読んでくれるかも知れない、来年の出場者に伝えたいのは、自分の活動の意味はしっかり自分で見出せということだ。学校の勉強然り、部活然り、エコノミクス甲子園然りだ。入試の結果や大会の成績しか残らないのでは余りにも空虚だと思うのだ。もちろん結果は大事だ。そんなのは当たり前だ。ただ、自分にとっての意味は持っていて欲しいと思う。それって何だろう、とそうやって考えることが大事なのだ。社会のレールに乗ればいいのだろうか、言われたことが正しいと盲目的に信じて突き進むはめばいいのか。ちゃんと考えて欲しい。もし社会のレールに乗っていい大学に入りたいだけなら、経済の勉強なんかせずに受験勉強をたくさんすればいいのだから。皮肉に聞こえるかも知れないが、功利的に考えればそういうことだろうと思っている。だからこの大会に出る全ての人は自分なりの意味を持って参加して欲しい。私からの切なる願いだ。
第13回エコノミクス甲子園の企画・運営に携わった全ての人に感謝を申し上げて、この文章を締めることとする。

2024/4/9 カテゴリー:NY研修旅行感想文
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